2023年1月 どうする?日本
その昔、聖徳太子が掲げた17条の憲法「和を以て貴しとなす」。これが日本の原点です。古来、日本人は争いごとを好まず、世界でも類まれな穏やかで知的な民族なのです。
紛争史観と災害史観
日本は周囲を海に囲まれているおかげで、他国からの侵略とは無縁の国でした。鎌倉時代にモンゴルが侵攻してきたこともありますが、海を隔てているが故にさほどの大群が押し寄せることができず、屈強な鎌倉武士たちの奮闘もあり、国土が守られて来ました。
ところが、ユーラシア大陸は陸続きであるが故に常に紛争が絶えませんでした。自分たちの民族を守るためには戦わざるを得なかったのです。やられっぱなしでは国が滅びますから「やられたらやり返す」の繰り返しです。決して他国の言うことを鵜呑みにはしないばかりか、常に侵略してきた国のことを恨み続けています。ロシア対ウクライナ、イラン対イスラエル、これは我々日本人には理解できない永遠の対立です。これが紛争史観です。
一方、日本は常に地震、台風、豪雨・豪雪等の自然災害に見舞われ続けてきました。世界の中でこれほどの災害大国はありません。しかし、どれだけの被害を被っても自然を恨んでも仕方ありません。どれだけ対策を施しても自然の脅威の前には無力です。たとえ30メートルの防波堤を造っても、35メートルの津波が来たらひとたまりもありません。しかし、紛争とは違い、自然災害は永遠に続くことはなく、いつかは収まります。事実をありのままに受け止め、誰を恨むことも責めることもしない、これが災害史観です。この史観は、争いを避けることには威力を発揮しますが、時として事なかれ主義に陥ってしまうという負の側面も併せ持っています。コロナ禍における昨今の世の中の反応がそれを如実に物語っています。
日本語の力
「風がそよそよ」、「小川がさらさら」。心地よい響きです。「風がやさしく」、「小川が静かに」というよりずっと心に響きますよね。ところが、これらは英語ではどれもが「gentry」になってしまうのです。「赤ん坊がすやすや眠る」、「子供がすくすく育つ」も同様です。これほどまでに日本語というのは豊かで美しいのです。日本に住む多くの外国人を見てきた人が面白いことを教えてくれています。「長年日本で生活してきた外国人は日本語を勉強しているうちに性格までも穏やかになっていく」というのです。まさに日本語の力です。
昨年暮れの日本レコード大賞や紅白歌合戦を観ていて心底悲しくなりました。とても日本語とは思えない歌詞、メロディーとはほど遠い、単なるサウンド。日本の文化が壊されていしまいました。文化が滅びると国が滅んでしまいます。国債残高が増すことが将来世代へのツケというのは大間違いです。日本文化を破壊してしまっては子供や孫たちに顔向けできないばかりか、これまでの先人たちの血の滲むような努力も水の泡になってしまいます。
本当の意味での自己責任
音楽だけではありません。政治家やマスコミ、知識人と言われる人たち。彼ら彼女らの発する言葉は全く心に響きません。なぜだと思いますか?彼ら彼女らの言葉は「自分の言葉」ではなく、すべて「借りてきた言葉」だからです。「新しい資本主義」、「所得倍増計画」、「異次元の少子化対策」、「こどもファースト」等々、枚挙にいとまがありません。「踊る阿呆に乗る阿呆」、借りてきた言葉に踊らされる人たちの何と多いことか。
このままでは「一億総玉砕」の二の舞です。今こそ、我々一人一人が各自の責任において借りてきた言葉ではない、心底心に響く言葉を求め続けるべく、精進しなければなりません。
それこそが本当の意味での自己責任だと思います。
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つばさクリニック院長 石川 亨