2018年10月 北海道胆振東部地震
先月の台風 21号、凄まじい強風でしたね。関西空港の連絡橋に強風に煽られたタンカーが衝突していた映像は衝撃でした。
あれは台風一過、9月5日の事でした。台風の影響での通行止め等で前夜から秋田県内で立ち往生しておりましたが、夜が明けて、段々に通行止めも解除になり、岩手県盛岡市に向けて走っていました。最終目的地は青森市、とにかく早く降ろして寝たいという一念で頑張り、青森中央卸売市場で最後の荷物を降ろし終えたのは日付が変わり、時計の針が深夜1時を回った頃でした。
あぁ~眠い!もう無理!お腹も空いているけど先ず寝ようと思い、青森港のフェリーターミナルに行き、駐車場の端の方にトラックを停めて、寝台で寝ると起きられなくなるのでシートを倒して直ぐに寝ました。それから何時間くらい寝たのか、夢うつつと申しますか、ゴゴゴゴッ!ドーン!と音が聞こえた次の瞬間、車が揺れ出しました。最初は直ぐ止まると思い起き上がらず、目を瞑っておりましたが揺れが大きくなるし長い。これはヤバイと思い、時計を見ると午前3時過ぎ、目の前は海だし、また通行止め等になると困るし、とにかく急いで青森インターに向って高速道路に乗り、岩手に向かいました。しかし、高速代は会社から出ないので、途中で高速を下りて、一般国道をトコトコと岩手に向かいました。車中でラジオを聞いていたら先程の地震で北海道では大きな被害が出ていると報じられており、時間が経つにつれ、被害規模の大きさを知り、驚いた次第です。
後に平成 30年北海道胆振東部地震と命名された地震ですが、あの揺れの大きさ、長さは東日本大震災の事を思い出すのに十分過ぎまして、正直、ビビリました。
さすがに今日は会社に戻ったら休みだろうなと思っていましたが、甘かった。社長と社長の友達の農家の I さん、他、農家の有志の皆さんが北海道の被災地に支援物資として米と水を送るという事で、米を出してくれる農家を回って積み込むのを手伝えと言われ、集荷して回りました。集荷は翌日も続き、朝から農家を回って積み込みをしていた時は、社長が運転して友達の I さんも乗って行くと言っていたのですが、ようやく集荷を終えた夕方、突然、社長が「じゃあ小川くん気を付けて行ってきて」と言い出したのには正直な話、ビックリ!
「はぁ!?ちょっと待った、俺が行くのかい!勘弁しろよ!どこで話が変わった!」
等々、危うく口に出そうになりました。
私の目的地は震源地に近く、最も被害が大きかった厚真町ではありませんでしたが通過しなければならず、どんどん近付いて行きましたが、テレビでは報道されない様な場所での道路の亀裂、陥没等、結構凄かったです。
今回は色々な事が重なって、本当に心身共に疲れました。なぜか大きな災害が発生した被災地に行く事が多いというのが不思議でなりません。そして被災地の惨状を目の当たりにして震災時の事を思い出す。忘れたくても忘れられない、複雑な想いが込み上げて来て辛いです。
岩手県大槌町 小川 孝幸
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