2024年6月 大谷翔平のお母さん
ある会合の後、社長に誘われて食事に行きました。私が以前働いていたH運送のH社長、その次に働いていたS運輸のS社長も一緒で色々な意味で針の筵?状態でした(笑)。でも、私は何か問題を起こして辞めた訳ではないので、文句を言われることはなく、色々と思い出話に花が咲きました。
焼肉屋のK子さん
この時、丁度ニュースで大谷翔平の事を放送したので、H社長が「大谷はスゲーなぁ。まさか、こんなに凄い選手になるとは思ってなかったよな?」と言い出したので「そうですね、本当に凄い」等々、相槌を打っていたのですが、「K子さんもとうとう辞めたもんなぁ」と言いました。最初、何の事か分からず「そうなんですかぁ」と適当に合わせていたら「小川君も知ってんべ?焼き肉の△△店のK子さんよ」と言うので、「あー、あのK子さんですか。何でまた?」と聞いたら「息子が手術したし、結婚もしたから色々あるんだって」とか言ってました。 K子さんは私がH社長の会社で働いていた時、毎日配送で行っていた焼き肉屋の厨房で働いていたパートのおばさん?で長く働いていて厨房の長?みたいな感じの方で、食材を降ろす場所や回収していく様々な物品について色々と教えてくれた方でした。私が配送に行く時、たまに休んでたりしていて「今日はK子さんはお休みですか?」とか他の店員さんに聞くと「子供さんの部活の試合の応援で休みだよ」とか話をしていたのが懐かしい。
K子さんの息子は大谷翔平
H社長が「俺、バカだからよ、『息子に甘えて仕事辞めたらいいのに』って言ったことがあるんだよなぁ」と言うのですが、何の事だか?ピンと来なかったんですよね。更に「息子が帰って来ても仕事休めないから焼き肉屋に父ちゃんと兄ちゃん、姉ちゃんとメシ食いに来てたりしてたんだよ」と続けるH社長。ここで私が漸く「もしかして息子って・・・」と言い掛けたら、「大谷翔平に決まってんぺや」とH社長。「はぁ?嘘でしょ!K子さんが大谷翔平の母ちゃんなんですか?」と私・・・。いや、本当に驚きました。K社長は「何言ってんだ小川君、毎日行ってたのに知らなかったのか?そうか、小川君は人の話聞かねえからな(笑)」←(そんな事はありませんけど。というか、ここで頷くT社長とS社長も何なの?と思った次第・・・)
よみがえる記憶
今思うと、その焼き肉屋に一時期、メディアの取材は御断り、報道関係者入店御断りみたいな貼り紙があったんですよね。それに事務所に行くと何故か大谷翔平のサイン色紙やグッズがあるし、増えていくんですよ。でも単純に地元だから大谷を応援しているのだと思っていました。それにしてもK子さんがメジャーのスーパースターの母親とは驚きの一語に尽きます。H社長曰く「家計を助ける為に稼ぎ出したんだけど、大谷が日本ハムさ入ってもアメリカさ行っても辞めなかったんだ。それに全く偉ぶらねえし、中々できるこっちゃねえよな」との事。 これを聞いて、もう一つ思い出した事があります。震災のあった年、当時小学生だった息子を配送の仕事に連れて行ったことがあります。盛岡、花巻、北上と岩手県を南下しながら各店舗に降ろして行き、ちょうど昼前後にこの店に到着しました。仕事を終えて、ここで昼食を食べたのですが、息子はなんと、「焼肉の大盛」を食べました。その後会計をして厨房の脇に停めていたトラックに行ったら、K子さんが息子に話し掛けていたんですよ。「津波で家を流された」とか説明していたら、「ちょっと待って」と言って厨房に入って行って、お菓子を一杯息子にくれたんですよ。翌日、息子が「僕も行く!今日もおばちゃんからお菓子貰う!」とか言っていたのも覚えております(笑)。その息子も今は社会人、この日の事は全く覚えていないようで「嘘だ!」と言っています(笑)。
岩手県大槌町 小川 孝幸
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