2021年1月 10年過ぎてもPTSD
12月21日未明(2時23分)、久々に緊急地震速報が鳴り響きました。震源地は青森県東方沖43km 最大震度は震度5弱、深夜の地震は心臓に悪い、地響き?がドン!ゴゴゴゴゴゴと来たので、ああ揺れるなぁと思ったあとにグラグラグラッと揺れ出した。結構な横揺れでした。時間が時間だけに半分夢うつつ状態でしたが、ハッと目覚め?服を着て外に出てみたら視界に入る家の全てに電気が点いていました。普段は震災の時の様な地震は生きてるうちは来ないから大丈夫、大丈夫とか話している御近所の皆さんも、やはり大きい地震には敏感になっているようで、周りを見ると玄関に出てる人も多く、リュック(防災袋)を背負っているし、意外に準備万端?かく言う私も避難する時の為にリュックに着替えや保存食等を詰めてはいるのですが、こういう物が役に立つ事態には二度となって欲しくはないですけどね。
この時の深夜の井戸端会議の議題は避難するか、しないかでしたが大きい地震が続くようなら一応、高台の城山に上がるという話になりました。震災時、NHKのラジオで2~3mの津波が来るかもしれませんと言っていた時点で既に町は津波に押し流されておりましたから避難するかしないかは自分で判断するしかありません。テレビやラジオの情報を待っていては遅いという事を皆よく分かってしまったんですよね。でも1人で高台に行くのも不安なので井戸端会議となった次第でしたが、その後、揺れは収まったので皆、家に入りました。
あの震災が深夜の時間帯に発生していたら停電で真っ暗の中、海の様子も見えず避難する事もなく私達も含む、もっと大勢の人が亡くなっていたでしょうね。深夜に避難するかどうか近所で話し合うという事も震災があったからですし、あれが無ければ、気温が氷点下の寒い外に出るという事も無いと思います。まあ、大袈裟な物言いかもしれませんが、PTSDというやつなのかもしれませんね。私ですら緊急地震速報の警報音を聞くと今でも非常に嫌な気分になってしまいますが、御近所の方々の中には、震災で死んだ方が良かったというのが口癖の様になっている方も居りますし、普段は何気なく生活していても何かのキッカケでスイッチが入ってしまい、色々と大変なんですよね。
こういう時に小川さんは避難する?と聞かれると1番困ります。私が避難するなら一緒に避難する、避難しないなら自分も避難しないとか避難行動の基準みたいにされるときついです。上手く言えませんが妙な責任感が芽生え、結構な重圧を感じてしまうし、下手な事は言えなくなってしまう。自分だけなら直ぐ判断できる事も、後々の事など色々と考え過ぎてしまって判断力が鈍ってしまうんですよね。ある意味、田舎の怖い所なのです(笑)
岩手県大槌町 小川 孝幸
「遥かなる復興への道:2021年1月 10年過ぎてもPTSD」をダウンロードする