遥かなる復興への道 from 岩手県大槌町

通り一遍のマスコミ報道では分からない、被災地の生の姿を復興への熱い思いを込めて伝えます

漸く本当に暖かくなってはまいりましたが、それでも朝夕の冷え込みは春や初夏とは思えない程で気温差が10℃くらいあると結構きついです。日本も熱帯化してきたと申しますか余り四季というものが感じられない様になってきた様な気がしますが気のせいですかね?

今年は熊の出没が激増しておりまして、ほぼ毎日防災無線で「どこどこに熊が出たので付近の住民は注意して下さい」と放送があるとの事です。物置小屋を壊されて中に置いてあった玄米などを食い荒らされたりと被害も出ております。私も2匹の子熊を連れた母熊を見ましたが(遠くから)警戒心が強くなっている子連れの状態で人家の近くまで来るのは珍しい事なんですよね。

食べ物を探して人家に近付くというのは山中に熊の食べ物となる物が減っていて、更に人間が山菜を採ったりしているのが熊の食糧難に拍車を掛けているのかもしれません。私も山菜採りをする為に山に入りますが、目につくのが山菜を根こそぎ採った痕跡、こんな採り方をすると来年は生えないだろうと思う事が多いです。タラの芽等にしても、本来は全部採らないで半分は残すべきですが、そんなことは考えない採り方をしていることが多いです。これは山菜の知識が乏しい素人の採り方だと感じます。今まで山菜等、採った事がない人がテレビとかで山菜が美味いとか、旬の山菜が、とかテレビ番組で言っているのを観て山菜採りをしてみたいと思い、山道を歩きながら道沿いに生えているワラビ等を採って食べてみたら意外と美味しかったりして、次に採りに行った時は採れるだけ採るという様な自己中心的な思考での採り方をしているのだと思います。

古来、山に入って山の恵みを分けて頂く時には「山の神」に感謝をしてお供えをするという様々な風習、慣習がある訳ですが、これは神社や祠等に供えるというよりも田舎では、山の神=熊、という考え方が多く、山の恵みを分けて頂きますが山の神=熊の食べる分は残しておくという意味合いがあると思います。世の中が変わり、便利な生活に慣れた現代の人々は畏れという事を忘れてしまったということなのでしょうかね?

昔なら山から山菜等を根こそぎ採ってきたら食べ物が無くなり空腹状態で狂暴化した熊が人里に下りてきて襲われる等、普通にあったと思います。そうならない様に感謝しつつ、お供えとして半分は残すという考えが山の神へのお供えだと思いますけどね。
             
境界という言葉、山との境界、これは言葉の通り世界の境、山界と人里では世界が違うし、色々な意味で境界を守らないと災いが降りかかるという事を現代の人々は忘れていると感じます。人間の生活が便利になればなるほど熊を始めとする山の動物達の生息域は狭まる。そうなると歪というものが出てくる訳で、熊が人を襲うというのも、その歪の一つではないのでしょうか?

山に入るなら畏れを抱き、熊に出会わない様に注意を払い、他人の持山には無断で入らないという最低限のルールを守るべきですね。田舎だと山道の入口付近に車を停めていただけで山菜や松茸泥棒と間違われ車を破壊されたり、タイヤを刃物で刺されてパンクさせられたりする事があります。本当の話ですよ。私は運良く?やられたことはありませんが(笑)

岩手県大槌町 小川 孝幸


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