父からの贈り物
私のセラピーへの取り組みを後押ししてくれたひとつに父の言葉がある。
「ひとりは寂しい。誰とも話さずに一日終わることもあるんや…」
と、誰ともなしにつぶやいた小さな一言。私の胸はつぶれんばかりに痛んだ。核家族化が進み独居で頑張っていらっしゃるお年寄りも増え、父のようなお年寄りが一体どれくらいみえるのだろう。心細さや寂しさや、そんな心の隙間を一体どうやってうめていらっしゃるのか…。物の溢れた豊かな近代にあっても、一番手に入れることが難しいもの。それは人との関わりの中で感じることができる温もりじゃないんだろうか、アニマルセラピーはそれに代われるだろうか、といろいろ考えさせられた一件であった。
3月に母を亡くした後の父の嘆きと悲しみは計り知れないほど深く激しいものであり、子どもの頃からいつも私を守り続けてくれた強い父とはかけ離れたあまりに辛い姿がそこにはあった。そんな辛さをどうしてあげることもできないままあれよあれよという間に、11月には父までが逝ってしまった。そんなせっかちな父が私に遺してくれたものは無限大である。人としての生き方を説いてくれたり、人生の節目節目には勇気づけられた言葉の数々、そして癌が発覚してからは私と弟それぞれに1冊ずつしたためられたノートいっぱいの想い出と感謝と別れの言葉…。父が生まれ育ち、はじめて母と出会って結ばれた田舎の屋敷跡地もそのひとつだ。
今の私を前へ前へと推し進めてくれるのは父と私のささやかな「夢」であるともいえる。それはもう一度父の田舎に小さな山小屋を建てるという常識外れの一案だ。うれしいときも寂しいときも、ふたりに会いたくなったときには我が家のセラピー犬たちと一緒に田舎の山小屋を訪ねてみたいと思う。話したいことは山ほどある。父母がこよなく愛した岐阜の山あいの地、自然の懐はきっと両親の面影と温もりを両手いっぱい用意して待っていてくれるような気がする。
父が最期に弟へ贈ったノートに記されてあった言葉、「人生は長いようで短いから立ち止まっていられない。足元を良く見て最後まで前進あるのみ。ガンなんかに負けてたまるか。」最期まで自分らしく頑固なまでに自分の生き方をつらぬいた父。そんな父は私にとって何にも勝る誇りであり、私も又そんなふうに生きてみたいと思う。父からこぼれた寂しさのひとしずくともいえる小さな言葉は人間誰にもいえることと捉え、寂しさや心細さをそっと手のひらで受け止められるそんなアニマルセラピーでありたいと切に願う。
アニマルセラピスト 石川 薫